新三友合唱団の歴史
この合唱団の母体である三友合唱団の創立は太平洋戦争集結の翌年の1946年で、三井グルーブの合唱好きの者達が集まって合唱団を結成いたしました。当初は日本橋室町の三井ピルの地下食堂の一角で練習が始められ、素人の集まりであるためレベルはお世辞にも褒められたものではありませんでしたが、当時早くも始められた合唱コンクールへの出演をめざし、青山学院の音楽教師であった石丸泰郎
氏が初代指揮者に就任しました。練習の甲斐あって結成の年の11月戦後初めてのコンクールで一般の部で5位入賞を果たしました。翌
47年には関東合唱コンクールで1位を獲得し、「三友」の名を一躍世に知らしめることになりました。
1952年から約3年間は、桐朋学園の設立に尽力されたバリトン歌手伊藤武雄氏が指揮者に就任しましたが、オベラ活動などで大変
多忙であったため、その代役として当時まだ桐朋の高校生だった小澤征爾さんが指揮棒を振ったのです。彼の言動はまだ子供っぽかったのですが、指揮を始めると一変して厳しい顔になるなど、後の大指揮者の片鱗を感じさせられました。
1955年伊藤武雄氏のあとに同じ桐朋学園大学で教鞭をとっていた萩谷納氏が指揮者に就任し、その後の40年間に亘り指導に当たられました。萩谷氏はアメリカ・ボストンに留学中、街の教会で日常的に賛美歌を歌って楽しんでいる市民の様子を見て、日本にも市民の合唱団を育てようと考え熱心に「三友」を指導してこられました。しかし、1995年突然体調を崩されたため、萩谷氏の愛弟子である豊田喜代美氏と当時桐朋学園大学の指揮科を指導していた尾高忠明氏の推挙により、現在の指揮者、長野力哉氏を後任にお願いすることとなりました。
振り返るとコンクール出演は1949年以来30回を数え、しかも毎回好成績を納めてきました。
1956年から始められた定期演奏会は2014年で53回を数え、毎回ミサ曲やレクイエムなど宗教音楽を中心にしたプログラムを組み好評を博してきました。
同年末、団の運営方針の違いから団を2つに分け、私共は「新三友合唱団」と名乗ることにいたしました。そして引き続き長野力哉先生を音楽監督兼常任指揮者としてご指導いただくこととなり、現在に至っております。
新三友合唱団はこれまでに2回の定期演奏会を行いましたが、その間2016年の5月にはベルリン郊外にある閑静な住宅街にあるエルンスト・モーリッツ教会で当団の特別演奏会を開催、また2015年10月には住友生命健康財団主催のスミセイフォーラム「生きる」に特別出演しそれぞれ好評を博しました。2018年にはオーストリアのウィーンの由緒あるペーター教会の礼拝堂でフォーレの
レクイエム、ハッセのミゼレレ等を歌い、地元の信者や観光客から喝采をうけました。
(本文の編集には創立メンバーの故杉戸寿子理事が1996年3月4日の日本経済新聞の文化欄に寄稿した記事を参考にさせていただきました。)